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2006年3月の5件の記事

2006年3月30日 (木)

最新ライヴリポート (2006.3.27)

2006.3.27

新宿ゴールデン街劇場
での『色唄七夜物語』も第三夜目を迎えた。
今回のGUESTはPIANISTのリクオさん。
彼とは十数年前に一度一緒にLIVE RECORDINGをした仲だったので今回の参加も可能となった。結局、第二夜目のHONZIさんも5月のGUEST山北健一 さんもそのRECORDINGで知り合ったのだ。
十数年ぶりの共演だというのに、SOLOのリクオさんのステージを観ていなかった私は、2月14日に渋谷のBYGでの彼のLIVEを観に行った。リクオさんのPOPでやさしいPIANOと歌声は、なんだか私をとても優しい気持ちにさせてくれた。
昔の私には彼の世界観は少し甘すぎると感じていたのだが、その夜は、東京に単身出て来て歌い続ける事に必死になっていた私の心をやさしく包んでくれたのだ。

音楽を聴いて久しぶりに涙が出てきた。

音楽の持っている力を実感したのだ。

ひたむきに音楽を奏でている彼に感動したのかも知れない.....。

なんて素晴らしい事が出来る立場にいるんだろう。

ステージ
に立てる自分が幸せだと思った。

二年間、東京と言うとてつもなく大きな街に来て随分バリアをはって生きていたんだなと、やっと肩の荷が下りたようなそんな感じで気張り過ぎてる自分がおかしくなってきた。
泣き出してしまう事もたくさんあるけど、いつも音楽は私を勇気づけてくれる。
歌っていて良かった。

二ヶ月に一度の『色唄七夜物語』、「あ!」と言う間にくるのだが二ヶ月の間には色んな出来事がある。だから、丁度良いタイミングで違う色の唄やステージが見える。毎回自分の中でテーマがあるがGUESTの方と藤井裕さんからたくさんメッセージを貰ってLIVEで全てが成立している。とても楽しい

もうすぐ4月になろうかと言うのにまだ夜は冷え込んでコートが放せないでいる。
今夜のゴールデン街はひっそりと佇んでいるようだ。

お客さんは来てくれるのかしら.......?

 

前日のリハーサルの時に三人で打ち上げをして色々な事を話していたし、藤井裕さんとリクオさんの仲もかれこれ20年以上になると言う事で、出番前にあまり気を遣わずに自然体でいれた。大先輩である裕さんの厳しさにも少し慣れたのか....理解できてきたのか.....過剰な緊張はしなくなっていた。
みんなで腹ごしらえに、ゴールデン街劇場の出番前に必ず立ち寄るおでんやさんでコーヒー焼酎を一杯ひっかけた。酔いながらも意識がハッキリしてくるこのコーヒー焼酎はLIVE前の一杯としては最高のできなのだ。

そんな風に過ごしたからか、とても自然に自分を解放させる事ができて久しぶりに声も良く伸びた。そして大阪時代から良く私の唄を聴いていてくれた人達がたくさん聴き入ってくれていた。その中には1stALBUMのプロデューサーである岳原遊氏、そして数々の名曲を生み出しているSINGER SONG WRITERのさこ大介氏の姿もあった。(1st Album『Honky Nonky Keiko〜鳥のように〜』で「眠花」を歌わせてもらった)
私はステージの上で幸せだった。三人がそれぞれの個性を十分に発揮しながらも調和が取れていて、客席からも暖かい空気を感じる事ができた。(さこ大介氏は素直な方で、感情をストレートに客席から投げかけてくれるのだ。そして何よりも音楽をこよなく愛している事を身体で表現してくれていたのが、また他のお客さんにも伝染したのだろう〜)

やさしい音を奏でる事ができた。

嗚呼、
最高〜〜!
この気持ちをずっと長く置いてきた。もうツッパらなくて良い。と、やっと愛を抱きしめられる自分になれたような気がした。

何よりも嬉しい事は、『色唄七夜物語』の相棒であり音楽の師でもある藤井裕さんが楽しかったとご機嫌だった。

アンコールでは、大阪でBACK BANDがあった時代に歌っていた『終わりなきPARTY』を藤井裕さんの涙が出そうなやさしいベースとリクオさんの穏やかにころがるようなピアノの音にのっかって歌った。[いや〜自分で言うのもなんだけど名曲だ〜]


LIVE終了後は、大阪時代の友人と共に私たちのゴールデン街でのPARTYもフラフラになるまで続いた。 


たくさんの人が私の周りで支えてくれています。ありがとう〜。感謝しています。

まだまだ「色唄七夜物語」始まったばかりです。是非一度体験してみて下さいね。

次回、第四夜は5月7日。パーカッションの山北健一さんをお迎えして、さてさてどんなの夜になる事やら......。

お楽しみに!!

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2006年3月20日 (月)

最新ライヴリポート (2006.3.15)

2006.3.15@CHAD

なんだか思いがけない展開となった!高円寺の楽やと言うお店で知り合った二人の若いMUSICIANがセッションしてくれる事に急遽決まってCHADに集合した。

DAICHIは既にBANDで何度かCHADに出演していた。基本的には器用で勢いのあるしっかりとした青年で、リハーサルの時点で既に懐かしい話で盛り上がっていた。
話を聞いていると共通の知り合いがたくさんいる。そして共通の楽曲をこよなく愛していると言う事がよくわかった。久しぶりにアレサ・フランクリンバージョンの『NATURAL  WOMAN』を歌った。

そう云えば彼に良く似たHOTな人とDUOを組んでいたな〜と、忘れていた懐かしい気持ちを思い出させてくれた。
楽しんでギターを奏でているDAICHIを見て、もっともっと遊んでいこう〜と言う気持ちがわき起こってきた。嬉しいね〜!!

SHINGOは良く気の利く人で私は色々と助けてもらっている。旅人として海外で飛び入りセッションをしたりしていたらしいから、旅人としてなにか共通点があるのかも知れない。自らの演奏をジャパニシュと呼んでガットギターの大好きな音色を奏でてくれる。
もうどれぐらいになるだろうか?SPAINに行ってみたいと思っている私の心を知っているかのように奏でる音に、封印している情熱をかき立てられる。

3人でいると私の過去現在未来のような気がして、2ndステージでの3人のセッションはとてもおもしろい展開をみせてくれた。

まだまだ荒削りな3人のステージだったけれど、次回までにどれだけリハーサルをしてどんな曲をしていくか....どれだけお互いに興味を持って遊べるかが問題になってくるのだろう〜

私も彼らに触発されてPOWERがでてきているようだ〜!

3人で奏でる一番近い日はまだ未定だが、5月25日@CHADが決まった。

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2006年3月 9日 (木)

最新ライヴリポート (2006.3.7)

久しぶりに対バンがあるアコースティックナイトに出演した。ライブハウス新宿URGAは三度目の出演で少しステージからの風景にも慣れてきた。久しぶりにPAが入っている現場でのLIVEに少々興奮ぎみ.....前回は新宿SLIMと言うBLUES BANDのGUEST Vocalとしての出演だったので思い切って歌わせてもらったのだが、その時の記憶がまだ鮮明に残っていて、ステージに立つとまだいない観客もたくさん見え始める。歓声さえも聴こえてきそうだ。今夜は良いライブになりそうな予感....。
リハーサルを終えてからもう一人の出演者TAMくんとURGAのオーナー坂本氏とで食事にでかけた。私の出番は一番最後なのだが、逆リハといって一番始めにリハーサルを終えるので出演時間までには十分すぎるぐらいの時間がある。TAMくんは最近ゴールデン街のFLAPPERと言うお店でアルバイトをしているらしい。坂本氏とはゴールデン街の飲み屋で出会った。今夜の打ち上げは当然ゴールデン街って事になるのだろう。などと考えながら食事にむかった先は、神戸出身のマスターがやっている「三汁一菜」。マスターが31歳の時に始めたという。カウンターだけの小さな店だが年季の入った壁やカウンター....聞くと26年になると言う。気さくに話しかけてくれるマスターとの付き合いも20年近くになると言う坂本氏。自分の店のように自分で焼酎のボトルを取り出している。私はとりあえずビールからとお願いした。名物のたこやき(明石焼き)やカラシレンコンなど少しずつつまみながらマスターと坂本氏の話を聞いた。東京に来て知った事だが、意外にこの大都会で人は皆付き合いを大切に長く暮らしている。大阪には私にもそういう仲間や場所がたくさんある。まだ東京に来て3度目の春。やっと東京生活3年目の私はまだまだ小さな子供のようなものだ。二人の歴史を聞いていると大阪の仲間の事を思い出して、飲まずにはいられなくなり焼酎を一杯もらう事にした。が、40度もあるという.....いや、飲み過ぎてはいけない....これからLIVEなのだ.....と言い聞かせながらゆっくりとお湯割りを飲み始めた。TAMくんは水割りをどんどん飲んでいる。大丈夫なのだろうか?どうやら強いらしい。これぐらいの方がリラックスできていいんですと若い元気な答えが返ってきた。彼は東京に来て4年目になると言う。そして2人の子供がいるとか....なんか大変そう.....話を聞いてみると大変なのだが家族がいて楽しいとの事。初めの一年は福岡から単身で出てきて生活の基盤をたてて家族を呼んだらしい。やっぱり家族と一緒だと楽しいと幸せそうに語ってくれた。私は音楽とともに歩んできたが、私生活の面では色んな事を犠牲にしてきた。当然、全ての時間を自分の為に使ってきたが彼の話を聞いているとなんだか大きな忘れ物をしてきたような気分になった。今の私が家族とよべるような相手は大阪時代の仲間達かも知れない。会いたいな。ふっとそんな事を思った。これからLIVEと言うのをすっかり忘れてしまいそうな楽しい時間が過ぎていった。
URGAに戻った時には一番目の出演者の風さんが歌い始めた所だった。まだ人はそんなに入っていない。私は3番目の出演で気持ち的にはとても余裕があった。今夜はゆったりとステージにたてそうだ。お客さんもパラパラと入り始め会場にもリラックスした空気が漂い始めた。私もなんだかいつもと少し違った落ち着きがある。良い意味での緊張感も持ちながら....。やはり週末の旅が影響しているのかも知れないな。再び梅の香りを思い出しているうちにステージは始まった。懐かしい曲を用意していたせいもありなんだか久しぶりに自分の世界を自分自身が堪能した。がむしゃらにひとりLIVEを続けていたが何か一つ吹っ切れたような気分でステージを降りた。やはり今回のテーマは『六月の夜明け〜Knockin'on The Heaven's Door〜』全てが愛に満ちて平和でありますように.....。

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2006年3月 7日 (火)

ホーボー日記

旅らしい旅をしたのはどのくらい前だろう....?特に強烈に印象に残っているのは沖縄本島から離島へとギターを持って旅を始めた2000年辺りだろうか?いや、その前にギターを弾く事を教えてくれた土地インドを忘れてはいけない。
1994年に初めて行ったアジア7カ国ツアーでは、インドの印象は最悪のものだったはずなのに何故かその5年後には吸い寄せられるようにゴアはアランボールと言う土地にたどり着いた。その後しばらくは毎年のように2月はそこで過ごして気を養っていた。海を望む崖沿いに住んでとどまる事の無い波の音を聴きながら、時を忘れてギターを弾いたり空想に耽っていた。砂浜を挟んで海と湖が共存する風景の中で海に月が沈んでいくのを、涙しながら心ふるわせて眺めていた。そして、そのまだ奥地の森に生息する樹齢6000年のバニアンの木の下で原始人のように歌って暮らした。言ってみれば私の第二の故郷のような場所だ。それがきっかけで沖縄の霊地にどんどんつながっていったのだが、東京に来てからは沖縄さえなかなか行く事ができない。インドは『呼ばれて行く土地だ』と言われているがその通りだと思う。だから、今は行くべき時期ではないのかも知れないなどと考えていた。しかし、東京の人ごみに紛れていると無性にアランボールが恋しくなったりしていた。精神的に少し休養が必要だったのかもしれない。春が来たと言ってもまだ寒いと書いた翌日、とてもいい天気になったものだから久しぶりに旅に出てみた。レンタカーを借りて伊豆半島の大瀬崎をめざして...なんの予備知識も無くいつものように気まぐれな旅。ただ岬から富士を眺めたかった。たくさんのダイビングショップが点在していて、たくさんのダイバー達が休日を楽しんでいた。そのダイバー達を横目に突端の神社まで歩いてみた。近づくにつれ何故か背筋がゾクゾクする。樹齢1000年以上のビャクシンの樹が気を出しているようなのだ。なんだかどんどんアランボールにいた頃の感じを思い出す。宮古島や波照間島にも似た感じがする。神社には神池と言う淡水の命豊かな池があった。どこからか淡水が湧出しているらしい。海のうねりを聴きながらの淡水の池、まさしくアランボールそっくりのシチュエイションだ。そしてその奥のビャクシンの森には最高齢のビャクシンが祭られてあった。そして富士はその姿を神々しくくっきりと春の日差しの中で輝かせていた。なんだかわからない『気』に体の震えはしばらく止まらなかった。

風と海のハーモニーは私を再び遠くへと旅立たせる.......春の日差しの中で......

明日は久しぶりのひとりLIVEが新宿URGAである。なんだか初心に返ったような気分で清々しい。あまり歌っていなかった『六月の夜明け』(初めての地獄のようなインドからバスで北上した、ネパールはポカラで湖越しに見たヒマラヤ連峰のマチャプチャレを見て天国に来たような気分になった。湖のほとりで牛のえさを摘むネパールの女性の黒髪の美しさに感動した。自分のあるがままの姿を愛する心こそ隣人を真に愛する事ができるのではと思った時にできた曲だ)を歌ってみたいと思った。


旅ふたたび....

春の日差しが柔らかくさす
梅の林の中で心融けだしてゆく
花の香りに抱きしめられた
雪化粧した富士の姿は凛として
言葉も無く私を連れてゆく
懐かしい懐かしいあの山の麓まで

海沿いにのびるうねった道は
このままどこまで続くのかしら
なぜにどこへ向かうのだろう
ただ富士の姿を追いかけて
駿河の海が風と歌へば
懐かしい懐かしいあの森の中へと

バニアンに似たガジュマルに似た
時を越えた命を持つビャクシンに触れ
私の体に新しい唄が流れだした

凛とした富士に見守られ
海の子守唄の中 あふれる清い水に命踊る

時は幾重にも繰り返し 寄せては引いて柔らかくなる
愛は幾重にも繰り返し 寄せては引いて深くなる
人は幾重にも繰り返し 近づいては離れやさしくなる

融け出した心は風に乗り波の上に浮かんで消えた
深く広い海に抱かれ 永遠へと続く旅へとふたたび.....

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2006年3月 4日 (土)

ホーボー日記

三月に入ったと言うのに寒い日が続いている。
初めてこの部屋に来たのが3月1日。大阪から新幹線で東京駅に降り立った時の印象は「大阪より寒いな。」そうか東京は大阪より北にあるんだと実感した。朝からの冷たい雨の中、不動産屋に鍵をもらいに行った。担当の人はこの雨の中、こんな寒い日に大変だな〜と言う顔をしていたが、申し訳なさそうに「雨の日の引っ越しは縁起が良いらしいですよ」とつぶやいた。「ほんまかいな...そんな話聞いた事無いで...」と心の中。不動産屋の若い兄さんの慰めに「そうなんですか」とは答えたが、顔は引きつっていたような気がする。ま、新し事の始まりはこれぐらい印象に残るような日の方が良いだろうと思っていた私だったからこっちは結構清々しい気分でいたので、変に兄さんの気遣いがおかしかった。大阪からの荷物は何時に到着するかわからないと言う。(大阪からの移動にもかかわらず格安でお願いした為、到着時間は未定という条件だった。あてもんみたいな引っ越しやと自分でもおかしかった。)とりあえず部屋には入れたから雨風はしのげる。しかし電気をお願いしなければ寒い。諸々の電話連絡を終えるとなんとか凍え死ぬ事が無いようには準備出来た。夕方、いつのまにか雨は雪に変わっていた。
あっ!と言う間の二年だったが、あまりにもたくさんの事がありすぎた激動の二年だっただけにまだ二年なんだ...と自分でも驚いている。
昨夜はゴールデン街の『恒城』にてたこ焼きを焼いていた。三度目だったんだけど、随分勘が冴えてきているようで目分量でねたを作っていてもわかるようになりだした。食べてみるとなかなかのものになってきている。醤油ベースの味付けなので昨夜はだし汁につけて食べる明石焼風をお客さんに進めてみた。深夜の酔いどれたお客さんにはあったかいだし汁で食べるたこ焼きは好評だった。これからゴールデン街の他のお店からの出前も受付ようと言う話にも発展している。
今年はゴールデン街劇場にて『色唄七夜物語』を公演しながら、ゴールデン街に這いつくばって唄を聴いてくれる人を増やしていこうと思っている。そしてこの街で唄が生まれるのを期待している自分である事が楽しい。

さて、三年めに入った東京生活これからどうなっていくのやら先はまだまだ見えていないが少し生活にも慣れた。まだほんの一部しか知らないが、東京と言う大都市をこれからもっと広く深く楽しみながら歩んで行きたい。

東京の旅はまだ始まったばかりだ。

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